成恢(せいかい)が作った轟丹丸はどんな毒性?張唐の死亡は史実なのかについても

函谷関での激戦で活躍した張唐は、成恢が作った轟丹丸(ごうたんがん)という毒に侵されながらも勇猛果敢に戦い、戦場で死んでいきます。

今回は、轟丹丸の効果や実際に張唐はその毒で死んだのか、史実で存在したのかについて解説していきます。

成恢が作った轟丹丸はどんな毒性?

まず、成恢が作った轟丹丸はどのような武器で、どのように使用されたのかをまとめてみました。

轟丹丸が登場するシーン

轟丹丸が登場するのは、函谷関の戦いの時です。

韓軍の総大将として魏軍とともに函谷関を攻めていた成恢が開発しました。

激戦の中、7日目の朝に姿を現し、成恢は毒兵器の部隊を用意しました。

成恢が日夜研究して作り上げた毒矢が秦軍を苦しめ、張唐の居場所を突き止めたあと轟丹丸が発射されます。

巨大な弓のような形をしていて、煙を放って秦の兵を苦しめました。

張唐はこの兵器のせいで亡くなってしまいます。

轟丹丸の効果について

それでは、轟丹丸はどのような効果がある武器なのでしょうか?

毒、と聞けばたちどころに兵が苦しみだすのを思い浮かべるかもしれませんが、轟丹丸には即効性はなく、8日後に効き始めます。

逆に成恢はこの毒が効くまでの時間差を利用したんですけどね。

この毒に侵された張唐は瀕死になりながらも成恢を切り殺すのですが、成恢は張唐が生きていることに驚いていることから、8日後には死んでいる計算だったんでしょうね。

成恢が日夜研究を重ねて作り上げた轟丹丸の効能を覆すとは、張唐恐るべしです!

張唐の死亡は史実なのか?

それでは、実際の史実では張唐は轟丹丸によって亡くなったのでしょうか?

というよりそもそも、張唐という人物は存在していたのでしょうか?

張唐の死亡シーンは史実ではない

実は、張唐が轟丹丸によって亡くなったというのは、まるっきり作り話なのです。

張唐という人物はというと、一応存在はしていたみたいですね。

ただし、政が天下を取り、中国を統一した後に登場する人物なのです。

そもそも函谷関の戦いのときにそんな人物がいたのかということ自体が疑わしいですね。

キングダムではこのように、史実と異なる人物や、別人から名前を取ってきたりなどフィクションの要素が多いので、あまり真に受けるのはよくないと思います。

かっこいいシーンなんですけどね、特に死に際に成恢を討ち、桓騎に秦国を託すのは。

実在した張唐はどんな人物だったか

では、実在した張唐というのは、どんな人物だったのでしょうか?

張唐というのは秦の将軍で、さまざまな戦で活躍しているみたいですね。

まず、紀元前258年に魏を攻めています。

しかしこのときは蔡尉という家来が陣を捨て逃亡したので、帰還後に首を刎ねてしまいます。

そして翌年の紀元前257年には鄭に攻め込み、これを攻め落とすという活躍を見せています。

また、同年寧新中という都市を攻め落とし、安陽と改名しました。

安陽は中国の最北部に位置し、中国七大古都に数えられています。

これだけの戦で手柄を立てていますが、生まれた年も亡くなった年も分かっていません。

ただ、始皇帝に仕えたという記録は残っているので、キングダムでの展開は、ありえなくはないのかもしれません。

まとめ

いかがでしたか?

キングダムで描かれているのはほぼフィクションだとは思いますが、史実と照らし合わせてみるのも面白いものですね。

成恢も張唐も函谷関での戦いで亡くなってしまいますが、張唐から秦を託された桓騎はまだ生きています。

彼が今後どういう活躍を見せるのか、楽しみですね!

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